ウクライナ人家族に見た忖度
投稿者 : 伊藤陽一
また、テレビ番組からです。2.3週間前の「YOUは何しに日本へ?」(テレビ東京)という番組で、日本人と結婚したウクライナ人女性(長女)を頼って避難してきたウクライナ人家族4人(夫婦と娘2人)を扱っていました。1週間の隔離期間を狭い収容施設で過ごした後、彼らが最初に出かけたところは秋葉原。高校生くらいの3女はウクライナにいた時から日本アニメのファンで、街頭のポスターに抱き着くなど大はしゃぎ。彼らはやがてアニメ・グッズの専門店に入ります。3女は相変わらずウキウキ気分ですが、やがてあるアニメ・キャラクターをあしらった(比較的大きな)キーホルダーに目を止め、手に取って見入っていると、そばから長女が「お姉ちゃんが買ってあげようか」と声を掛けます。3女は答えず、黙って商品を棚に戻します。しかし、彼女は店を出ても下を向いて浮かぬ顔。そして彼らは(多分テレビ局のおごりで)回転すし店で寿司を楽しみます。その席で長女が先ほど妹が店で見入っていたキーホールダーを3女にプレゼントとして渡します。それをもらって3女は号泣。それを見て、両親も涙目。お父さんは目をこすりながら、「こんな些細なことで、みんなが幸せになれるんだね」と言いました。ここで「みんなが大変な時に、自分だけおねだりするわけにはいかなかったようです」という3女の気持ちを解説する(多分不必要な)ナレーションが入っていました。
この番組は家内と一緒に見ていましたが、「これって忖度の連続じゃん」ということで一致しました。要するに私の言いたいことは前回と同じで、忖度も、空気も(たとえばアメリカでも葬式の場で冗談を言えば”read the air"<空気を読め>と叱られる)、世間も色々バリエーションがあるにしても人間社会どこにでもある現象だということ、それにそれらもカバーしなければ、「世間学」は日本社会評論に終わってしまってしまうのではないでしょうかということです。